すぐき
酸茎菜(すぐき菜)と塩だけで漬け込まれ、
乳酸菌の発酵により独特の酸味と風味のあるお漬物です。
すぐき菜と言いますが、かぶらの系統なので、
根の部分は大根を短くしたような形をしています。
葉は、根の大きさの割には大きいです。京都上賀茂の特産です。
酸茎菜(すぐき菜)と塩だけで漬け込まれ、
乳酸菌の発酵により独特の酸味と風味のあるお漬物です。
すぐき菜と言いますが、かぶらの系統なので、
根の部分は大根を短くしたような形をしています。
葉は、根の大きさの割には大きいです。京都上賀茂の特産です。
「京都の漬物といえば千枚漬」、というくらい、京漬物を代表するお漬物が「千枚漬」です。
原材料は、京野菜の「聖護院かぶら」という、大きくてまん丸な、真っ白なかぶら。
それを熟練の職人さんが大きなかんなで薄くスライスしたものに、昆布を贅沢に重ねて漬け込んでいきます。
京都を代表するお漬物、というだけあって、京都の漬物店はそれぞれに「ウチの味が一番!」と誇りを持っています。どのお店も、厳選された素材、こだわりの製法、熟練の技を駆使して、丁寧につくっています
おたべやすーーー。

舞妓 (まいこ)は年少芸妓、芸子(芸妓)の見習い、
修行段階の者を指す。
舞妓は京都(大阪、奈良などでも)の呼称である。
東京など関東地域でいう『半玉』もしくは『おしゃく』に相当する。
芸者は江戸での呼び方なので、区別する必要がある。
おいでやすーー。

法然の弟子良鎮が創建した往生院が廃寺となったが、その往生院の跡に明治28年祇王寺として再興したものである。
平家物語の哀話で知られる白拍子の祇王・その母・妹の祇女・同じ白拍子の仏御前の合葬墓と平清盛の供養塔、さらに5人の木像がある。平清盛の愛が祇王から遠のき仏御前に移り、やがて仏御前も清盛のもとを離れることになる、尼として出家して嵯峨の庵に住まいする祇王を訪ね、仏御前も仏門の道に入る。

もとは光源氏のモデルといわれる源融の別 荘であった地。 のちに関白藤原道長が譲りうけ、その後、永承7年(1052)に道長の子頼通 が寺とした。
写真の阿弥陀堂は、左右に翼廊を伸ばした姿が鳳凰に似ていることとや実際に鳳凰をのせているので、鳳凰堂と呼ばれる。 宝物館には平安時代の美術品の数々がみられる。 宝物館は春と秋のみ開館。

まさに豪華絢爛の金閣寺は、応永4年(1397)、足利義満が築いた山荘北山殿を義満の死後、義持が禅寺にしたもの。金閣は3層の桜閣で、初層が藤原期の寝殿造、第2層が鎌倉期の武家造、第3層が唐様式仏間と各時代の様式を独創的に折衷させている。
最初の金閣は、昭和25年、同寺の一僧の放火により全焼した。昭和30年に復元され、62年には金箔の張直しも行われている。
金閣を中心とした池泉回遊式庭園は、衣笠山を借景した名園としても知られる。義満は造園にあたり、希代の見物といわれた名木、名石を諸大名から集めさせたということである。

清水寺は伝承によると坂上田村麻呂が780年(宝亀11)、延鎮を開山として東山の音羽山中に堂宇を建てたのが始まりといわれている。山門や三重塔、また、清水の舞台で有名な本堂、それぞれが四季の彩 りとともに美しい。
「清水の舞台から飛び降りる」という言葉は、物事の決断をする時、思いを決して身の振り方を決めるときに使われてきた言葉。この清水の舞台は斜面 の上に建てられ、139本の支柱に支えられており、これより眺める市街の眺めは見事である。
また奥の院には秘仏十一面千手眼観音が安置されている。
おいでやすーー。

原生林の自然を残す「糺の森」の奥に位 置する賀茂御祖神社は、一般に下鴨神社の名で呼ばれている。 糺の森を清らかな御手洗川が流れ、境内にも清流をみせている。 古代の豪族賀茂氏の氏神社であり京都でも最も古い神社。祭神は上賀茂神社にまつられている賀茂別 雷神の祖父神にあたる賀茂建角身命と、母神にあたる玉依姫命のニ神。 平安遷都後は王城の守護神として栄えた。 東西ニ棟の本殿は三間社流造りで桧皮葺きの国宝である。55棟からなる社殿は、すべて寛永5年(1628)の建造で重要文化財となっている。

正式名は賀茂別雷神社。 古代の豪族・賀茂氏の氏神社。
下鴨神社の祭神・玉依姫命の子である賀茂別雷神を祀っている。
厄除けの信仰を集めている。 本殿と権殿は国宝。文久3年(1863)に改築されている。
また、社殿の多くが重要文化財の指定を受けている。